1959年 名古屋市出身
1979年 YAMAHAドラム講師
その当時としては珍しく自身のドラムセットを教室に持ち込み、ロックとはグルーヴとはなんぞや!
ハートでブチかませ!スネア一発に命を懸ける!と教則本からはみ出しっ放しであった(笑)。
1980年 センチメンタル・シティ・ロマンスにドラムとして加入
加藤登紀子、竹内まりや、岡林信康らのレコーディング、ツアーに参加。
1981年 9月21
日加藤登紀子ツアー中、山形新庄にて2万2千ボルトによる感電事故、九死に一生を得る。
5回の手術と1年余りのリハビリの末、歩行障害が残るものの、温かい友人達に支えられ退院。
ミュージシャンとして社会復帰を目指すべく、パーカッションを元・東京キューバンボーイズの
吉川氏に師事。
1983年 世界歌謡祭に日本代表メンバーとして出場
1985年 渡米 ロサンジェルスにあるM.I.P(Music
Institute of Percussion)
講師プエルト・リコ出身のEfrain
Toro(エフレイン・トロ氏)に師事。
1989年 帰国 パーカッショニストとしてジャンルを問わず参加する他、
喜多郎、加藤登紀子、薬師丸ひろ子らのツアーに参加。インドネシア、モンゴル、中国などアジアを中心に活躍。
1994年 「パーカッションによる子供達との会話」を開始。「誰でも楽しく遊べるパーカッション
ワークショップ」を展開、後のタイコ・コミュニケーションの基盤となる。
1996年 自らの経験からリハビリにパーカッションを取り入れた「リハカッション」を考案。児童デイサービス、障害者施設、老人施設、コミュニティセンター、学校等で開催。
パーカッションを通じてあらゆるジャンルの活性化につながる事を願い、民謡、和太鼓、操り人形や南京玉すだれ、弦楽四重奏、タヒチアン・ダンス、フラダンス、ベリーダンス、ラップ&ハウス、馬頭琴、中国琵琶奏者etc,とジャンルを問わずコラボ、若手アーティストのサポートに力を注ぐ。
2007年 封印していたパンドラの箱を紐解き、日本屈指のジミヘンドリックス・トリビュートバンド“Band of Shigeo Roll Over”3ピースのドラムを担当。ボトムは弱く、シンコペーションは踏めないものの、グルーヴ命!
一発入魂!ズシリと腰に響くビートは健在である。そのエネルギッシュなプレーは見るものを釘付けにし、
感動を与え希望をもたらすと言われている。一見の価値あり!爆音御無礼!
現在はバンド活動のほか、タイココミュニケーションやリハカッションの進化と普及に努めている。
近々パーカッションの本場のリズムに触れるべく、グルーヴ、ルーツを探求する旅として、キューバ、ブラジル、そして全ての起源であるアフリカ・セネガルへの訪問を計画中!
サポート及びバンド活動
Sentimental
City Romance
FolkRocks
Band of Shigeo Roll Over
やまとなでひで
Tumblin' Weed
しげだこ
Blues Hackers
Tai-Kobo
nano sec.
いとうたかお
WET BACK
AHORA-SI
鯖吉ブルースバンド
よろずや
and more・・・
TOPICS
1991年 フジテレビ「101回目のプロポーズ」
西村由紀江、センチメンタル・シティ・ロマンスとして音楽担当
2001年 五島良子 洋楽カバー集
Now and Forever #2 の中でUDU(アフリカンパーカッション、日本で言う陶器の壷)のプレイがドラムマガジン等で好評となる。
2013年8月20日毎日新聞 「打楽器でリハビリ」
これまでの主な共演者
喜多郎、大倉正之助、花柳鯉女、琴座、三波春夫、喜納昌吉、加藤登紀子、和田直、小坂忠、山下達郎、竹内まりや、ジョー山中、金子マリ、桑名正博、カルメン・マキ、リリィ、EPO、中村耕一、田村直美、斉藤誠、
塩谷哲、西村由紀江、ケイコ・リー、オユンナ、PATA、ジェフリー・フォスケット、名古屋フィルハーモニー交響楽団、中部フィルハーモニー交響楽団 and more.